2022年7月28日木曜日

最後に

弟(三男) 1963年ー1963年

母 1936年ー1991年

父 1930年ー1992年

弟(次男) 1961年ー2019年

妹 1964年ー2022年

私(長男) 1959年ー

無料ブログなのでいつ廃止されるかわかりません。複製を他のブログに作っています。

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2013年1月3日木曜日

祖母に面会

本日、老人ホームに入所している祖母に面会して来ました。祖母は大正5年生まれなので今年で97歳になります。祖母は亡くなった母の実母ではなく養母です。気が強くしっかりしていた祖母ですが痴呆症になってしまい、10年くらい前に老人ホームに入所しました。大分前に会った時は元気で話もできたのですが、今日は寝ていて起きそうにもないのでそのまま帰って来ました。職員の方は忙しそうで詳しい話も聞けなかったのですが、一日中寝ているようでした。本当は引き取って面倒を見てやるべきなのですが、それもできず申し訳ないと思います。


2012年6月25日月曜日

お知らせ

投稿日時を変更して時系列に日記を並べ変えました。これで一旦終了します。

2012年4月23日月曜日

転勤

Uに住んで早2年経った。皆良い人だった。離れ難しである。おばさんが我が子のように可愛がってくれた。まもなく転勤命ぜられ変わることになる。Oなのである。変わる時会社より本箱もらう。餞別にもらう。農家をしている鎌田宅の離れを借りることになる。

4畳半の狭い家だった。

2012年4月22日日曜日

生い立ち(桂長屋で住む)

ここを出てくれと言われ家探しである。ちょうど見つかったからというので替わる。今度は桂長屋である。ボロい家だった。家賃1200円である。安いので良い。6畳間1間あるだけ。空が見えるくらい壊れかかっているみたい。隣は朝鮮の人が住む。真ん中が私宅、隣は佐伯さんという。その前に農家の人住む。良く子供が遊びに来る。朝鮮の人の子供、中学生の女の子、男の子もいるし20才ぐらいの男の子、結婚している男の人。

私は替わってどのくらい経ったのか、急におなか痛むので近くの病院に行く。先生往診に行って留守だった。しばらく待って欲しいという。椅子に座っていてもじっとしていられないくらい痛む。診察の結果盲腸炎という。すぐ手術する。目だけ隠してするので聞こえる。局部麻酔してするから。注射切れて痛むので言うとしてくれる。しばらくすると眠くなる。睡眠注射だった。良く近所の子供が学校帰りに来てくれた。付き添いに父が来る。夫呼んだのだろうと思う。2、3日おって帰る。本当にありがたいことだと思う。1週間で退院する。

12月の年の暮れである。夫は実家へ帰る。昭和33年1月1日正月迎える。私一人だから何もしないでいると佐伯さんが持って来てくれた。嬉しかった。おいしかった。夫は4日に帰って来る。夫29才、私23才の年である。

こーちゃんという人が遊びに来た。私とも親しくなる。夫も知っている。ある時隣に遊びに行く。旧正月だといってごちそうに呼ばれたのだ。孝ちゃんという中学生の女の子と仲良しである。それもあって食べに行く。楽しい1つの思いでだった。今でも忘れないのだ。

節分の日大豆いって年の数だけチリ紙に包んで十字路に持って行って置くという。それで私もする。4月におばさんに連れて行ってもらいわらび、ぜんまい取りに行く。初めて教わった。ゆで方も教わる。近くの山へワラビ採りに行く。早速ゆでる。良くおばさんは赤ちゃん生まれたら付き添ってあげる、家で産みなさいと言ってくれる。

2012年4月21日土曜日

生い立ち(西山宅借家住まい)

相変わらず夕方になると篠崎さん、女工さんが遊びに来る。話弾み9時頃帰って行く。帰った後休む。真夏の8月になった。良く海に泳ぎに行くのか川に行くのか、大きな川があったと思う。今でも思い出す。後ろに小学5年生ぐらいの女の子がいる。私と仲良しになる。おばさん、女の子と私とで良く風呂に入りに行く。1人前13円だった。女の子は良くあくびしていた。おばさんは死ぬ前だと言ってたが私は上の空に聞いていた。

ちょうど私が昼寝している時、その女の子が泳ぎに行こうと誘う。水着持ってないので行けないし、行っても暑いからと思い友達と行っておいでというとすぐ行った。それからどのくらい経っただろう。急にざわめき、ふいと下を見ると溺れ死んだという。水を吐かせたが助からなかったと言ってた。びっくりして行く。お母さんには初めて会うが、お礼言われ恐縮する。私が着いて行ってあげたら良かったと思う。残念に思った。取り返しつかないことしてしまったような気持ちしたが、何も私が悪いわけではないのですとお母さんはいった。葬式に焼香に行った。本当に可愛い子だった。

ある時おばさんが留守するという。どこか行くのだろう。おばさんは町内で草むしりしないといけないので代わりにして欲しい、鶏にえさもやって欲しいという。私は頼まれた通りにする。卵産み1個だけもらおうと思い、黙って皿も借りて使う。帰ってからお礼にといって卵2個もらったが、急に怒ったのかここを出てくれという。忘れていたが西山さんのおばさんの妹さんという人と娘さん来て一緒に食事する。農協に勤めているという娘さん、以前下宿してた頃に好きだったらしい。夫の初恋の人だという。私は複雑な気持ちする。

2012年4月20日金曜日

生い立ち(新婚生活)

夫はタバコもお酒も飲まない人だから誕生日にはポートワインを二人で飲む。丸い飯台で食べる。新婚旅行に行かなかったのでMに行こうといって、その時はU線が通ってたからそれでMに行く。その時代にデパートあったのかしら。忘れたが確か三越に行ったようである。ガスコンロはなかったので石油コンロ買って帰る。どういう訳か迷子になり離れてしまう。お金は持ってないし初めてのMでどうしようかと半べそかき探しまわる。バスの所に行って待ってたら来た。

その時代32年8月、蒸し暑い夏が来る。良くにわか雨降る時だ。ある時3畳の間で昼寝していた。窓開けっ放し。急に女の人の声がしてびっくりして目が覚める。おばさんはカンカンに怒ってた。雨が降っているのに窓開けて畳濡れるといって怒っている。申し訳ありませんと謝る。

良く篠崎さんという人が遊びに来た。製材所に勤めている若い人である。隣は女工さんが住んでいる。その娘さんが好きらしい。三人で自転車でドライブした。ダムができる途中だ。見物に行く。昼は三人で食堂で食べる。楽しい一日だった。5時頃帰り炊事する。

ある時魚屋さんで鯖買い刺身してもらい、調理している男の人は包帯していた。もしやと思いチラッとよぎったが案の定夫は1皿の刺身一人で平らげてしまう。私はほんの少しだけ食べたのでどうもなかったが、夫は急におなか壊して先生呼ぶ。食中毒らしい。すぐ治って良かった。それ以来鯖の刺身は買わない。

夏だから夜店ある。見物に行く。店にスカート布地売っていた。それが欲しく買ってくれとせがむと怒られる。ビンタ張り飛ばされた。欲しいので買ってくれと言っただけなのに。泣きながら池の方に走って行きそこで思い切り泣いた。後すっきりして戻ると探したんだぞといってまた怒られる。困ったものだという。