ここを出てくれと言われ家探しである。ちょうど見つかったからというので替わる。今度は桂長屋である。ボロい家だった。家賃1200円である。安いので良い。6畳間1間あるだけ。空が見えるくらい壊れかかっているみたい。隣は朝鮮の人が住む。真ん中が私宅、隣は佐伯さんという。その前に農家の人住む。良く子供が遊びに来る。朝鮮の人の子供、中学生の女の子、男の子もいるし20才ぐらいの男の子、結婚している男の人。
私は替わってどのくらい経ったのか、急におなか痛むので近くの病院に行く。先生往診に行って留守だった。しばらく待って欲しいという。椅子に座っていてもじっとしていられないくらい痛む。診察の結果盲腸炎という。すぐ手術する。目だけ隠してするので聞こえる。局部麻酔してするから。注射切れて痛むので言うとしてくれる。しばらくすると眠くなる。睡眠注射だった。良く近所の子供が学校帰りに来てくれた。付き添いに父が来る。夫呼んだのだろうと思う。2、3日おって帰る。本当にありがたいことだと思う。1週間で退院する。
12月の年の暮れである。夫は実家へ帰る。昭和33年1月1日正月迎える。私一人だから何もしないでいると佐伯さんが持って来てくれた。嬉しかった。おいしかった。夫は4日に帰って来る。夫29才、私23才の年である。
こーちゃんという人が遊びに来た。私とも親しくなる。夫も知っている。ある時隣に遊びに行く。旧正月だといってごちそうに呼ばれたのだ。孝ちゃんという中学生の女の子と仲良しである。それもあって食べに行く。楽しい1つの思いでだった。今でも忘れないのだ。
節分の日大豆いって年の数だけチリ紙に包んで十字路に持って行って置くという。それで私もする。4月におばさんに連れて行ってもらいわらび、ぜんまい取りに行く。初めて教わった。ゆで方も教わる。近くの山へワラビ採りに行く。早速ゆでる。良くおばさんは赤ちゃん生まれたら付き添ってあげる、家で産みなさいと言ってくれる。